2023/10/7

シンギュラリティ(45)

    武内宿祢(3)。。。。長く朝廷に仕えた忠臣として戦前はお札の肖像画ともなり広く知られていたが戦後は一変して伝説の人との評価が一般的です。学者さんは論理的な考証を大切にされますが、紀伊國名所図会を見ても産湯を使った井戸を大切にしていたことが窺えます。宿祢の父親は八代孝元天皇の子孫と考えられています。12代天皇の依頼で武雄心命は神事を担当されたと思われます。10代天皇崇神天皇の命で皇女豊鋤入媛が御鏡を納める所を探され大和媛さまが伊勢に落ち着いたのが11代です。紀州のこの地も収まっていなかったのかも知れません。