漬宮境内 左より
第8殿(金比羅宮)、第7殿(恵比須社)、第6殿(天満宮)、第5殿(布引神社)
神社の公共性

悠久の昔、四季折々の変化に富む自然風土の中に神々のご存在を見出した日本人は、家郷の村々に神々を祀り、今日に至るまで連綿と祭りを続けてきました。

こうして祀られた神社は全国津々浦々に約八万社を数え、それぞれの地域で氏神さま(鎮守さま)として親しまれてきました。

氏神(鎮守)とは主として地域の守り神を意味します。また、氏神の神恩を戴いて生活している地域住民全てを氏子といいます。

古より絶えることなく続けられてきた神社の祭祀は、豊作を祈る春祭り、収穫を感謝する秋祭りなど、稲作に関わるものが多く、氏子区域を挙げて行われます。このことは、稲作を国づくりの基本としてきたわが国ならではの信仰形態を表しているとともに、氏神への崇敬心及び氏子という連帯意識を基盤とした神社と地域社会との密接不離な関係を物語っています。

人々は自然の恵みを受け、自然と共に生きています。このことが自然への感謝、恩恵への祈りとなり、その思いや心を姿勢に表したのが、古代からの永い歴史の中で「神への祈り」となって、日本人の生活文化に根ざし、心の安らぎの場となっていったのです。

南北朝時代、第五十七代紀伊国造の紀俊文が「風雅和歌集」に「名草山とるや榊のつきもせず神わざしげき日のくまの宮」の一首を残しています。

名草山が日前宮の神領内に在る神奈備山で、榊の供給地でもあったことが窺われます。

日前宮の元宮の濱宮とも縁の深い所以であります。
 
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