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明治11年(1878)~昭和39年(1964)
大正3年(1914年)第一次世界大戦の勃発によりドイツからの染料輸入が途絶え日本の染料業界が存亡の危機に陥ったことから、染料の主原料である「アニリン」の製造を決意し、試行錯誤の末、国内で初めての製品化に成功する。
続いて当時医療界で欠乏していた石炭酸(フェノール)の製造も実現した。これらを基礎に大正6年2月由良染料株式会社を設立し、同年12月には化学工業博覧会のコールタール染料の部で「金賞牌」を受賞し、日本化学工業会を主導するなど広く認知され和歌山の染料工業は急速な発展を遂げた。
第二次世界大戦中は、爆薬の原材であるピクリン酸を国へ納入するとともに戦闘機20数機を国に献納した。
一方、現県立和歌山工業高等学校の前身である県立和歌山工業学校と県立西浜工業学校の整備に尽力し、多くの工業技術者を育成するとともに、女子教育を目的として現在の市立明和中学校の位置にあった県立文教高等女学校設立のための敷地及び校舎建設資金を提供する等、教育にも物心両面にわたり大きく寄与した。
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