植芝 盛平
【武道家】
明治16年(1883)~昭和44年(1969)
 
和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市)の富裕な農家に生まれた。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。
 
身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。太平洋戦争(大東亜戦争)中は軍部に有用性を認められ、陸軍憲兵学校・海軍大学校などで武術指導を行う。
 
終戦後息子で後継者の植芝吉祥丸と共に合気道の社会普及に務めた。合気道は日本国内だけでなく世界的に大きく広まり、柔道・空手道などに次ぐ国際的武道に育った。盛平の功績は社会的に高く評価され、紫綬褒章、勲三等瑞宝章などを受賞した。


 
紀州人物伝TOP井澤弥惣兵衛為水濱口梧陵南方熊楠由良浅次郎津田堅物小野田寛郎山田猪三郎岡潔植芝盛平