和歌山市橋丁の生誕地に建てられた胸像
南方 熊楠
慶応3年(1867)~昭和16年(1941)
 
紀州和歌山が生んだ巨人、和歌山市橋丁で誕生した。熊楠と云う名前は海南の藤白神社から授かったものである。博物学者、民俗学者であり、その学問の範囲は極めて多岐に亘っている。特に菌類学者として粘菌の研究で世界的に有名である。
 
明治39年(1906)発布された「神社合祀令」に対しては猛烈な反対運動を起こした。それは「人間を始め総ての生物は自然の中に生かされて生きている」と云う理念に基づき、自然(生態系)の破壊を伴う「神社合祀令」は、自然保護(エコロジ)の立場から断じて許すことが出来なかったからである。
 
青年時代にアメリカ、イギリスで独学し、帰国後は田辺に移住、在野で学業一筋の生涯を送った。他方、環境保護に先駆的に取り組み、近代日本の独創的な思想家として高い評価を受けている。
 
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