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小野田 寛郎
大正11年(1922)~平成26年(2014)
小野田家と名草戸畔
2014年一月に亡くなられた小野田寛郎氏は戦後30年もの間フィリピンのルバング島で戦っていたことはあまりにも有名です。小野田家には祖先代々伝わる一つの口伝があり、「負けんじ魂」のルーツに関わる話です。
中身は古代神武天皇まで遡りますが、名草戸畔(なぐさとべ)という古代の首長の子孫が小野田家だということです。神武東征で多くの諸族は次々と屈服したにもかかわらず、名草の人々は名草戸畔がリーダーとなって神武軍を反撃しました。それで神武軍は紀伊半島を迂回して熊野に入らざるを得なかったと考えられます。
実はこのとき名草戸畔は戦死しましたが、土地の人々はその死を悼んで、遺体を頭、胴体、足の三つに分断し、それぞれ別の神社に埋めてお祀りしたと伝えられています。その頭を祀っているのが宇賀部神社(海南市、通称おこべさん)で、実は小野田家の祖先の墓でもあります。
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