「名草山」尾崎功画伯(二科会監事・関西支部長)の作品
名草山

紀三井寺・三葛両地域にまたがり南北に裾を広げた標高約二百三十米の孤峰です。

昔から紀伊国名草郡全域の象徴的な存在であり、古くから「神奈備山」(神の居られる山)として広く崇められてきています。

「名草山」と云う名称の文献での所見は、「万葉集」巻七の中の「名草山言にしありけりわが恋の千重の一重も慰めなくに」(詠人不詳)です。

「続風土記」には「郡中に特立して山脈地に連接なし、故に独名草山の名を負へり」とあります。

南北朝時代、第五十七代紀伊国造の紀俊文が「風雅和歌集」に「名草山とるや榊のつきもせず神わざしげき日のくまの宮」の一首を残しています。

名草山が日前宮の神領内に在る神奈備山で、榊の供給地でもあったことが窺われます。

日前宮の元宮の濱宮とも縁の深い所以であります。
 
HOME室山古墳名草山境内紀行文退隠蕉跡鎮守の杜毛見浜参道の大鳥居名草戸畔和歌浦湾の夕日御前神社