大成中学の校庭に建てられている
濱口梧陵の銅像
 
濱口 梧陵
(1820~1885)
 
1854年の旧暦11月5日、安政南海地震による大津波から村人を守るため、稲むらに火を放ち、暗闇のなか高台への道を示し、多くの村人の命を救いました。この話は、「稲むらの火」として現在に語り継がれ、今年6月に成立した津波対策推進法の中でもこの日を「津波防災の日」と定めています。
 
梧陵の活躍は、人命救助だけに留まらず、津波が収まった後は、応急対策として村人の食料確保に奔走し、物資の輸送に必要な道路や橋の修復工事を実施するとともに、家をなくした村人のために住まいを確保するなどしました。
 また将来にわたって何度も繰り返し押し寄せるであろう津波への対策として、大堤防を建設し、1946年に発生した昭和南海地震では、広村堤防はその役割を果たし、多くの住民を守りました。
 
この話は1897年小泉八雲(ラフカディオハーン)により「生ける神」なる物語として全世界に紹介されています。
 
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