2023/2/20

映画生きる(66)

       生きる(20)。。。。。。。。昨年このブログで取り上げた映画アマデウスの最後の場面もモーツアルトが家族知人に見送られて郊外の埋葬地に運ばれます。集まった人々の会話は少なく映画生きるの渡辺家の通夜とは対照的です。サリエリの独白とは違って各自各様の市民課長像を語って行きます。私の想像力では寡黙な渡辺家の妻たちにも自由に勘治さんを語ってもらうと面白かったのではと思います。冒頭のナレーションにあるように「今この男について語るのは退屈なだけである」この描かれなかった退屈な生活こそが「親方日の丸」と揶揄される生活で大切な部分と考えています。